名古屋地方裁判所半田支部 昭和48年(ワ)26号 判決 1975年2月26日
原告 杉本キヨエ
右訴訟代理人弁護士 榊原匠司
被告 市野弘行
主文
一、被告は、原告に対し、
別紙第一物件目録(一)記載の土地について登記してある別紙第二登記目録記載の各登記及び
別紙第一物件目録(二)記載の建物について登記してある別紙第三登記目録記載の各登記
のいずれも抹消登記手続をせよ。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の求める裁判
一、原告
主文同旨の判決
二、被告
請求棄却並びに訴訟費用原告負担の判決
第二、原告の請求原因
一、別紙第一物件目録(一)、(二)記載の土地、建物(以下、本件土地、建物という)は、いずれも原告の所有である。
二、本件土地について、別紙第二目録記載の所有権移転請求権仮登記、所有権移転登記及び根抵当権設定登記が、
本件建物については、別紙第三目録記載の所有権移転請求権仮登記、所有権移転登記及び根抵当権設定登記が、
それぞれ経由されている。
三、よって、原告は、被告に対し、所有権に基づき、右各登記の抹消登記手続を求める。
第三、請求原因に対する被告の答弁
一、請求原因一項の事実のうち、本件土地、建物の所有権がもと原告に存していたことは認める。
二、同二項の事実は認める。
第四、被告の抗弁
一、(一) 被告は、昭和四七年一二月中頃、訴外佐野正雄に対し、金員を貸与え、右債務を担保するため、原告の代理人である佐野との間で、債務の不履行があったときは、本件土地の所有権を取得して自己の債権の満足をはかることができる旨の売買予約契約及び本件土地につき、債務者を佐野、極度額を二〇〇万円とする根抵当権設定契約を締結し、右土地につき、所有権移転請求権仮登記及び根抵当権設定登記を経由していたところ、佐野が弁済期に右債務を弁済しなかったので、被告は昭和四八年三月三一日右売買予約契約の完結の意思を表示し、右意思表示はそのころ原告に到達し、昭和四八年四月三日右仮登記に基づく所有権移転本登記手続を経由した。
(二) さらに、被告は、昭和四八年一月頃、佐野に対し追加融資し、これを担保するため、原告の代理人である佐野との間で、本件建物につき、前同様の趣旨で、売買予約契約及び債務者を佐野、極度額を五〇万円とする根抵当権設定契約を締結し、右建物につき、所有権移転請求権仮登記及び根抵当権設定登記を経由していたところ、佐野が弁済期に右債務を弁済しなかったので、被告は前同様右売買予約契約の完結の意思を表示し、昭和四八年四月三日右仮登記に基づく所有権移転本登記手続を経由した。
二、原告は、佐野に対し右各売買予約契約及び各根抵当権設定契約締結の代理権を与えていたものである。
三、仮に右二が認められないとしても、原告は、佐野に対し、右各契約締結当時、本件土地、建物の権利証、原告の実印、印鑑証明等を交付していたのであるから、これは、右各契約締結の代理権を授与している旨表示したことになる。また、被告としては、佐野から、右権利証、実印、印鑑証明を示されて、原告から全権を委任されている旨いわれたので、これを信じて右各契約を締結したのであるから、右各代理権ありと信ずべき正当の理由がある。
四、仮に右三が認められないとしても、原告は、昭和四八年三月二一日、原告方において、被告に対し、同月末日までに佐野の債務が弁済できないときは、担保物件である本件土地、建物を如何様に処分しても構わない旨の念書を差し入れ、さらに、同年四月二日、被告は、原告との間で、本件土地、建物が被告の所有に帰したことを前提にして、右物件の賃貸借契約を締結した。右事実は前記原、被告間の各担保権設定契約を追認したものにほかならない。
第五、抗弁に対する原告の答弁
一、抗弁一、二項の事実のうち、原告が、佐野に対し、被告主張の代理権を与えていたことは否認するが、その余の事実は不知。
二、抗弁三項の事実のうち、原告が、佐野に対し、本件土地の権利証、実印、印鑑登録証を交付したことは認めるが、その余の事実は否認する。
右交付の経過は次のとおりである。すなわち、原告は昭和四四年一月三一日に夫の訴外國夫が死亡したので、以来次男秀幸(一一歳)及び長女(七歳)と三人で、原告が織布工場でパートタイムで働き、生活費の不足分は市から生活扶助の支給を受けて生活していたものであるが、昭和四七年一一月中旬頃、近所に居住し、日頃顔見知りの製本業をしている佐野から、同人が他から金融を受けるについての保証人となることを依頼され、これを承知した。但し、同人が、借り受ける債務の債権者、金額、利率、支払期限、損害金その他の条件については、後日、後記登記の完了後に話し合うことになっていた。そして、佐野は、右依頼の際、保証人となるには、不動産を所有していなければならないので、本件土地、建物の所有名義が、原告の夫の亡國夫となっていては保証人となれないから、本件土地、建物の名義を亡國夫から原告名義に移してあげるから、本件土地の権利証、実印、印鑑登録証を預からせてくれと申し向けた。原告は、佐野の言葉を信用して、実印を使うのは、本件土地建物の名義を亡國夫から私の名前にするだけだと念を押したうえ、右権利証、実印、印鑑登録証を佐野に渡した。
その後、原告は、登記が完了したら保証人となる相談(金額、借入先、保証契約書の差入等)があるものと考えていたところ、昭和四八年三月一二日頃の夜、突然、被告が単身で原告方を訪れ、本件土地、建物を佐野の借金の担保にとってある旨を原告に告げたので、原告はあまりのことにびっくりした。被告と入れ違いに佐野が来て、原告に無断で担保に差入れたことを詫びたので、その様なことは許せないと強く責めた。翌一三日の朝、これ以上、実印、印鑑登録証等を佐野に渡しておいては、どの様な事態になるかわからないので、佐野方を訪れて実印等の返還を求めたが、見当らないとの返事だった。同日夜、原告は、再び佐野方に行き、実印等の返還を懇願したところ、ようやく実印のみは返してくれたが、印鑑登録証は見当らないとの理由で返して貰えなかったものである。
三、抗弁四項の事実のうち、被告主張の念書、賃貸借契約書が作成されたことは認めるが、その余の事実は否認する。
右念書及び賃貸借契約書が作成された経過は次のとおりである。すなわち、昭和四八年三月二一日夜遅く、被告と佐野とが原告方を訪れ、被告が、同日現在の佐野の不払利息の額、同年三月三一日迄の延滞金の額を計算し、被告主張の文言及び原告名がすでに記載せられた念書に拇印による押捺を求めた。原告はこのような交渉に慣れず、ただおろおろするばかりであったが、押捺しなければ、被告らが帰ってくれそうにもないので、やむなく拇印を押した。
その後、同年四月二日、原告が、佐野方へ被告に対し借金を返してくれたか否かを尋ねに行ったところ、佐野が被告を電話で呼び寄せ、かけつけた被告がすでに作成してあった被告主張の賃貸借契約書なる書面を持参し、原告に対し、本件土地、建物は、担保流れで自分のものになったから、右契約書に署名押印しなければ、すぐ家を明渡して貰うと強く迫るので、原告は途方に暮れて家を追い出されては困ると考え、窮した末、これに署名し、拇印を押捺した。
原告は、新制中学は卒業したが、今日まで金融機関から借入したり、他人の債務の保証をしたこともなく、全く世事にうとい人間であって、佐野が原告の実印等を使ってどの様な登記をなしたかも知らず、佐野が原告に無断でなしたそれらの各登記が無効であることも知らずに、被告及び佐野に強いられて右念書及び契約書に署名押捺したものである。
第六、証拠≪省略≫
理由
一、本件土地、建物が、もと原告の所有であり、その後、被告のために、本件土地については、別紙第二目録記載の所有権移転請求権仮登記、所有権移転登記及び根抵当権設定登記が、本件建物については、別紙第三目録記載の所有権移転請求権仮登記、所有権移転登記及び根抵当権設定登記が、それぞれ経由されていることは当事者間に争いがない。
二、そこで、原、被告間に被告主張の各契約が締結されたかどうかについて検討する。
≪証拠省略≫によると、被告は、訴外佐野正雄との間に、昭和四七年一二月一六日、貸主を被告、借主を佐野正雄として金一五〇万円を貸渡すことの金銭消費貸借契約を結び、その際、被告は、原告の代理人と自称する佐野との間に、佐野の右債務の不履行があったときは、本件土地の所有権を取得して自己の債権の満足をはかることができる旨の売買予約契約及び、右債権の担保の趣旨で本件土地につき、債務者を原告、極度額を二〇〇万円、債権の範囲を昭和四七年一二月一六日金銭貸付契約による債権、手形貸付取引、手形割引取引による債権とする根抵当権設定契約を締結し、さらに、昭和四八年一月二五日、被告は、佐野に対して金五〇万円を貸渡して、金銭消費貸借契約を結び、その際、被告は、原告の代理人と自称する佐野との間に、佐野の右債務の不履行があったときは、本件建物の所有権を取得して自己の債権の満足をはかることができる旨の売買予約契約及び右債権の担保の趣旨で、本件建物につき、債務者を原告、極度額を五〇万円、債権の範囲を昭和四八年一月二五日金銭貸付契約による債権、手形貸付取引、手形割引による債権とする根抵当権設定契約を締結したこと。その際、被告は、佐野が持参した原告所有の本件土地、建物の権利証、原告の実印、及び印鑑登録手帳等を預り、これを使用して前記一記載の各所有権移転請求権仮登記及び各根抵当権設定登記の各登記手続を司法書士に依頼して完了したものであること。そして、右債権の弁済期を経過するも、佐野から支払がなかったので、被告は、右各売買予約契約締結当時、債務不履行の際直ちに所有権移転の本登記手続ができるように、あらかじめ、司法書士に対する委任状の原告名下に佐野の持参した前記原告の実印を押捺し、この委任状と預り保管中の原告の印鑑登録手帳及び権利証を使用して前記一記載の各所有権移転の本登記手続を完了したものであることを認めることができ、右認定を妨げる証拠はない。
被告は、佐野が、右売買予約契約及び各根抵当権設定契約締結の代理権を有していた旨主張するが、これを認むべき証拠はない。
そこで、表見代理の各主張について判断する。
≪証拠省略≫によると、原告は、昭和四四年一月三一日、夫の國夫と死別し、子供二人と、本件土地、建物に居住していたものであるが、以前、製本業の佐野の内職の仕事をしていた関係で、同人から、昭和四四年一一月中頃、他から金融を受けるについて同人の保証人になって欲しい旨頼まれ、これを承諾したが、佐野から保証人になるには不動産を所有していなければならないが、本件土地、建物の所有名義が亡國夫名義では困るので、原告名義に移さなくてはならないと言われて、本件土地、建物の所有名義を原告のものにする趣旨で、佐野に対し、本件土地、建物の権利証、原告の実印、印鑑登録手帳を交付していたこと。佐野は、右交付を受けた後、本件土地については、原告名義に相続登記を、本件建物については、原告名義の保存登記を経由した後、これらの書類、実印を原告に返還せずに、手許に存するのを奇貨として、前記認定のように、被告に対し、右権利証、実印、印鑑登録手帳を呈示して、前記認定のとおり、本件土地、建物について前記各契約締結の代理権がある旨僣称して、右各契約を締結したものであることを認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫
ところで、土地、建物の所有者が権利証、実印、印鑑登録手帳を他人に交付する理由は、いろいろな場合が想定せられるのであるから、右権利証等の所持人が、右権利証等を相手方に呈示したとしても、それだけでは右呈示は代理権授与の表示としては未だ完成されておらず、これをもって、本件のように、売買予約契約及び根抵当権設定契約締結の代理権授与の表示があったものとすることは到底できない。また、相手方としては、右権利証等の所持人が右各契約締結の代理権ありと自称したとしても、権利証、実印、印鑑登録手帳を所持する事実は、右のとおり、いろいろな場合が想定せられるから、これをもって、右特定事項の委託ありと信ずるにつき格別の根拠にはならないのみならず、特に、本件のような、所有者の居住が予想される不動産に担保権を設定するような場合には、一層慎重に契約締結前に本人に面接その他の方法で連絡して同人の意向を確めることが必要であり、被告は、これを怠ったことが認められるのであるから、被告に本件各契約締結の代理権ありと信ずべき正当の理由があったものということはできない。したがって、その余の点につき判断するまでもなく、表見代理の各主張はいずれも採用することができない。
三、進んで追認の主張について判断する。≪証拠省略≫によれば、原告は、昭和四八年三月二一日夜、自宅に佐野及び被告の訪問を受け、被告から、本件土地建物につき佐野が被告のために、前記各担保権を設定したので、佐野が同月末日までに債務の弁済をしない場合は、本件土地、建物を如何様に処分しても構わない旨記載した念書の原告名下に指印するよう強く求められ、原告としても子供らと女子だけの家庭に夜遅く被告らの訪問を受け、右念書に押捺しなければ被告らが帰ってくれそうにもないと考え、事の道理もよくわからないままやむなく指印を押捺したこと。原告は、昭和四八年四月二日、佐野方において、被告から本件土地、建物は担保流れになり、自己の所有に帰したから、今後原告ら家族が居住するからには、被告と賃貸借契約を結んで欲しいと強く迫られ、佐野も家賃月額五、〇〇〇円は自分が負担するというので、家を追出されては困ると考えて、被告がすでに用意してきた本件土地、建物についての賃貸借契約書の原告名下に指印を押捺したことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫
右認定事実によれば、原告は、真実、本件土地、建物が被告に帰属することを是認して、念書及び賃貸借契約書に指印を押捺したものではなく、被告及び佐野の誤った法律解釈に誤導されて右念書及び契約書に押捺したものに過ぎず、これをもって、前記無権代理の追認があったものとは認め難い。他に追認を認めるだけの証拠はないから、右主張も採用することができない。
四、してみれば、前記売買予約及び根抵当権設定の各契約はいずれも、無権代理ということになり、その効力は、原告に及ばないから、被告主張の日時にその主張するような予約完結の意思表示があったとしても、本件土地、建物の所有権が被告に移転したり、根抵当権が設定されるわけはない(本件各根抵当権設定契約の債務者は原告とされているが、原告は被告から金員を借受けたことはないのであるから、この点からも、右契約は無効といわなければならない)。
五、以上のとおりであるから、原告の本訴請求はすべて理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 大津卓也)
<以下省略>